不登校A                            2004年7月22日
 不登校の生徒との付き合いの中で、学ばさせてもらう事は多い。今回は、私が受け持った不登校の生徒のうち、ある意味最も重かった子の事について、ふれてみる。その子達が、もう23歳になるので、もう8年前の事だ。
 その子は、中2の2学期に転入してきた。その前の学校でもずっと不登校。ほとんど、登校は無理だろう・・という感じだった。2年の担任は、別の人。私は、3年になってもった。その時、2年の時同じクラスで家が近くのS君が関わってくれるかもしれないから!?という事で、同じクラスになった。登校は、無理だろうという子なので、会うのも厳しいかな?と思ったけど、家に行ったら会うことが出来た。色白でひょろっと背が高い感じ。でも、笑顔も出る。最初の頃は、週1の家庭訪問で、プリント類を持って行った。
 S君が最初に登校を促したのは、福岡市の教員が全員出張の日。午後がカットになるので、誰もいない学校にN君を連れて来ようというものだった。数日前から、かなり細かい配慮があったが、残念ながらダメだった。しかし・・・、S君はすごい。そういう事を思いついてる事自体がすごい!!
 私は、ちょくちょくS君から注意を受けた。中でもグッと来たのは、「先生、嘘はつかないで下さい。」ぎくっとして、内容を聞いてみると、「毎週行くって言ったでしょう?」これは、かなりショックだった。そうだよな〜。心が病んでる子に、出来もしない事を約束じみた感じで言ってしまって・・・。久しぶりの中3担任で、ちょっと疲れが出てくる頃だったのだ。しかし、お母さんは何も私を責められなかった。以後、この事には、かなり気をつけた。
 S君が次にやってみた事は、班ノートにN君になんでもいいから書いてもらうって事。これもだいぶんかかったけど、実行された。さらに凄い事に、彼は、班員全員でボーリングとカラオケに行くという事を実行した。(私的グループではなくて、班員という所がすばらしい!!)これらの事は、私が促したわけでもヒントを与えたわけでもなく、S君が考えて計画し実行したのだ。あまりにも凄いので、「どうして?」と聞くと、「実は、ぼくも不登校になろうとした事があったんです。」彼もまた、2年の最初に転入して来たんだけど、すぐには馴染めなかったらしい。そんな事、初めて聞いたような・・・。それにしても、凄い。
 私は、不定期に家庭訪問を繰り返したり、行事の時にビデオを撮って「これが、○○君で・・。」とか、説明しながら見せたりしたぐらいだ。クラスの他の子ども達も、学校に来てないN君の事は、かなり気になっていたらしく、「どうして来んと〜?」と、ちょくちょく私に聞いていた。これは、どんなクラスでもある事だ。学校に来てなくても、クラスの友達の事は、子ども達は、かなり気にしている。2学期のある日(ちょうど、集中人権学習の3回目?の前日)後ろの黒板に『△△君をむかえに行こう!!明日の朝▲▲時▼▼小学校前集合』と書いてあった。聞いてみると、Mさんが書いたという事だった。彼女は、ちょっと軽い行動もあったが、とっても素直な子。これは一度ぐらいはいいかな・・!?と思い、学年の先生達に伝え、私はクラスの子ども達に対しては、見て見ぬふり。状況は、S君に報告してもらう事にした。結果は、思った以上の子が行っていた。でも、その中でも様々。Mさんが恐くて参加した子・おもしろそうだから参加した子・本来の趣旨で参加した子・N君の事を思ってあえて参加しなかった子・寝坊した子・最初から、そんな知りもしない子の事で自分が早起きする必要なし!と思ってる子。さらに、前日S君がN君のお母さんに話して(私は、もっと前に電話していたが、とりあえずやってみましょう〜という事になっていた。)、やはりやめた方がいいのでは!?という事になっていたらしい。それで、▼▼小学校までS君が行って、みんなに説明したらしい。それで、学校に来てからMさんから「先生、おしえてくれれば良かったのに〜〜。」と言われたし、この日の人権学習は、みんないつになく早起きをして眠くて散々だったけど、これをやった事って大きかった気がする。
 卒業アルバムの個人写真を撮るために、インスタントカメラを持って、いきなりN君宅でN君にその事を言ったら、拒否された。ここで、また、自分が調子に乗ってる事を思い知らされた。調子が良くなると図に乗ってしまう。写真を撮るって、とっても大きな事なんだよな・・・と改めて思った。その後、期日を決めて、撮らせてもらった。
 冬になり、ぼちぼち進路を決める頃になった。N君はいわゆる学力的には、中ぐらいの成績という人。それで、小規模で不登校だった子を細かい配慮で登校させ、成果をおさめているT校を勧めた。年明けもそのままの気持ちだった。入試が近くなったある日、お母さんから「受験しないと言うんです。」と打ち明けられた。理由を聞いてみた。T校は、不登校生を受け入れているのでいろんなタイプの子が行ってるんだけど、地域では「名前さえ書けば受かる高校」と言われていた。彼は、転入生だからその噂を聞いた事がなかった。N君が、入試も近い事だし、散髪に行った。そこの店員さんが、(たぶん)何の気なしに「高校受験?まさか、T高校じゃないやろうね〜。あそこは、名前さえ書けばとおる所やけん。」みたいな事を言ったらしい。すごい差別的な言葉なのだが、店員さんは、良かれと思って言っているのだ。それを聞いたN君は、とってもプライドを傷つけられた気がして、「受験を辞める!」と言い出した。これを受けて、いろいろな(他学校の)先生に相談し、いろいろな方法を考え、保護者からは留年も考えてると言われたりもしたが、ぎりぎりでN君が受けてくれる事になった。(後日談として、彼はT高校でリーダー的な存在となり、野球部で活躍したらしい。びっくりするぐらいほとんど欠席がなく、3年間過ごしたという事だった。)この差別的な事は、是非ともN君のクラスメイトであり、この地域でこれからも生きていくであろう子ども達に話したいと思い、卒業を間近に控えた頃、静かに話した。人の人生を変えるかもしれない一言ってあるんだよね・・。という感じ・・・。この頃の子ども達は、深く考えられるようになっていたので、かなり入ったようだった。
 卒業に向けて、N君がクラスメイトだったという事実をアルバム以外にも残しておきたいと思い、『文集』と『いいとこさがし』で頑張る事にした。私のN君への取り組みの最後の頑張りだ!!どちらも卒業式前日の夜7時ぐらいかな・・・!?N君の原稿が完成した。クラスの有志の女の子達が手伝ってくれて、なんとか文集の綴じあわせが9時ぐらいかな・・?終わった。この時、自分は、かなりな達成感!!
 卒業式もN君は、出席出来なかったけど、彼との事でたくさんの事を学ばせてもらった。S君の数々の取り組みも、「冷たい」と言われるこの学校の子ども達への大人の認識を変えさせる1つの事実となった。
 ただ・・・・・・・・。こういう取り組みは、とっても地味なので、私が話した2〜3人(かな!?)の人しか知らない。



受験をめぐってA                          2004年5月7日
 今回は、A子のケースについて書いてみようと思う。
 A子は、吹奏楽部に所属していた。2年時までは、クラスでも部活でも友達とのトラブルが結構多かった子で、自己主張が強く、周りの状況をつかむのが苦手だなと思う点が多かった。それで、欠席や遅刻も多かった。2年の後半から、気の許せる友達が出来、次第に彼女の心もほぐれてきた。一旦良いほうに向かうと、どんどん良くなっていくもので、3年に入っても、良い調子でのスタートを切った。
 1学期は、まだ少し周りが見えないと思われる部分もあったし、勉強にも身が入ってなかった。吹奏楽コンクールでは、ソロもあり、練習はかなり真面目なので、模範演奏を何度も何度も聴き、それをマネしながら、上達していった。音の表情付けは、上手いとは思えず、彼女の周りを気にせず突き進む性格がそのまま音になっていた。
 2学期、勉強に本腰を入れて取り組み、自分の成績に一喜一憂した。受験校を決める上で、とにかくいろいろな学校に実際に行って、自分の目で確かめて、選ぶ!という一貫した考え方で臨み、公立を早めに決め、私立も自分の成績に合った・・・・という決め方ではなく、高校で何をするか!?という事を中心に決めていった。途中、いろいろな機会にお母さんが学校に足を運んでおられたので、話しをする機会も多く、中間報告としてA子に関しての情報交換を行った。「塾の先生には、成績を中心にアドバイスされている。」とか「お母さんは、良い方なのに、どうしてそんな低い所選ぶと!?とか言う友達がいるという事を聞いた(公開人権学習後の懇談会にて)。」等だった。
 3者懇の時、それまで言っていた学校でそのまま受験しようという事になり、お母さんが「この子の高校の選び方は、我が子ながら関心でした。」「私もそう思います。」という会話を交わした後、思いが高まったからか、彼女がとにかく第一希望は公立のK高校だという事を言いながら、泣き出した。お母さんも私も??って感じで、
私「何泣きようとね。同じクラスの仲間の中にも、私立も受けたいけど、家庭の経済状態を考えて、公立だけしか受けない子もいるし、高校進学をしない子もいるのよ。自分が受けたいと思う所を受けさせてもらえる幸せを感じてほしい。」
お母さん「そうよ。高校は、絶対行かないといけない所じゃないんだから。それに、今泣いて自分に負けてどうするとね!!」
二人で、叱咤激励しまくった。
「がんばります!!!!」という事で、元気に帰っていった。
 3学期になって、成績はというと、すれすれ合格かもしれないな・・・・という所で、頑張ってほしいと願うのみだった。学級委員にもなり、いろいろな場面で私を助けてくれて、本当に大きく成長したな〜〜と思いながら、彼女の様子を見ていた。
 公立受験の結果は、不合格だった。結構、がんがん泣く子だから、相当泣いただろうな・・・と思っていた。
 彼女には、携帯メールアドレスを教えてはいなかったが、バレー部で顧問の先生が、卒業生と現役生の試合をした後、卒業生のメールアドレスを確保しましたよ。という事で、自分のクラスのバレー部の子にメールして「他の人にも教えとってね!」と打ったので、彼女からA子は、メアドを聞き、私にメールしてくれた。
 「今日、○○高校の入学式でした。早速、友達もできましたよ。がんばります。」
○○高校は、吹奏楽コンクールで毎年全国大会まで行く所だ。彼女は、2年生の時、職場体験学習で、コーヒー屋さんの担当になり、そこのオーナーが上田正樹と交流がある人で、自分が吹奏楽でサックスを吹いているという事を話したら、実際に上田正樹とその奥さんに会わせてもらったというすっごい経験をしている。彼女が、○○高校に行く事になったのも、サックス(音楽にも、もちろん)に、どっぷり浸かれ!!と神様が言ってるのかも!?と思った。次に、お母さんや本人と会うのが楽しみだ。定期演奏会には、是非花かお菓子を持って行きたいなと思っている。




受験をめぐって@                                            2004年5月3日
 昨年度、3年担任だったので進路決定に向けて、いろいろな事を目の当たりにした。その中でのいくつかの事例をあげていきたい。まずは、T子のケース。
 T子とは、その前の年は授業だけの付き合い。音楽の授業での様子を見るだけでは、リーダー的な役割をしてくれる事が多く、てっきりいろいろな面で引っ張っていける子だと思っていた。ところが・・・・。実は、自己管理もできない子だった。遅刻は多い。雨の日は、ずぶ濡れで教室に入ってくる。(傘のさし方がまずいため、制服すべてが濡れまくっている。)給食時間、他の子の動きが見えてないため、おかわりは毎回するのだが、誰よりも食べるのが遅く、毎回「○○さ〜〜ん。もう、あなただけよ〜。」「あ、は〜〜い。」という感じ。とってもびっくりしたのは、ある日パン箱の中のパンが、袋の中で小さく砕かれている。???あの子か・・あの子か??(他の子を疑ってしまったm(_ _)m)全体に聞いてみる。「このパンをこんな風にしたの誰ですか?」すると、普通の表情でT子が名乗りあげる。???「「どうしてしたの!?」「知らないうちにしてました。」「こんな風になっているのを給食の先生が見たら、どう思うと思う?」「え?わかりません。」はぁ〜〜〜!??まじかい!!「せめて、袋から出して、バケツ(パンを残した場合入れるバケツ)の中に入れてくれたら、びっくりしないと思うんだけど・・・!?彼女は、本当になぜその事が悪いのか、わからなかったようだ。
 ところで、T子は、生徒会役員の学習専門委員長。入学式の時、新入生代表で、『新入生代表の言葉』を読んだ生徒である。いろいろな場面で立候補する。体育大会の応援団・○○実行委員と名の付くものすべて・・・。じっくり観察していく必要があるな!と思った。
 新しい学年になって、毎年『家庭環境調査』というものを保護者に書いてもらっている。(この内容も、個人情報という点で、問題となったのだろう。来年度から形式がぐっと簡単になるようだ。)その最後の部分、保護者が何か意見があれば書く欄があるが、そこに達筆な字で、「・・・・・・してほしい。」で終わっている文が書いてあった。???達筆なんだけど、この書き方って一体??と思って、父親の年齢を見てみると、私よりひとつ年下。もっと上の方かと思ったら???親が、教師を下に見てるケースか!?と一応判断した。ちなみに、弟の担任は、自分に向けて書かれた同じ部分の文を見て、相当怒っていた。(でも、怒っても始まらないんだけど・・・と私は思ったが・・・。)
 家庭訪問は、普通の日は時間確保という事で、夏休み実施だったんだけど、当日急遽お母さんから電話があって、「学校に行きます。」という事で、学校に来てもらった。(本当は、どの辺から来てるのか!?どんな環境なのか!?を知るって事が、大きな意味なので、家まで行く方がいいんだが)定例の家庭訪問の場合、「お家ではどうですか?」という事を聞くようにしている。こちらからの要望は、あまり言わない。普通の話しをし終わった後、これぐらい言っておこうかな!?と思い、「リーダー的な立場に立つ事が多いですよね。それで、自分の事をこなすだけでなく、今よりもう少し回りを見ようとするように心がけると、もっといろいろな面で成長できると思いますよ。」と、非常に柔らかに言ったのだが、お母さんの顔がぱっと曇り、「え!?どういう事ですか?」なんだか、すごい剣幕になって来たので、そこまで言う程の事でもないのにな・・・と思い、彼女の出来ていることを例に出しながら、良い所を伸ばす方向で・・・というのを説明していった。あれぐらいの事もお母さんに通じないのか??と、びっくりしたひと時だった。
 2学期に入り、受験校を具体的に決めていく頃になってきた。この頃、すでに彼女は、学校に塾の『必勝はちまき』を持ってきて、他の子達に激励の言葉を書いてもらったり、いわゆる学校のランクめいた事をたくさん言うようになってきた。なんと・・・・、彼女のために転校するという子まで出てきた。(朝学校に行く前に、電話がかかってきて、待ち合わせをし、彼女のために遅刻になった事も数回。クラスも一緒。塾も一緒。一見仲が良いように見えるけど、実際はT子が常に上の立場でないと気がすまないという感覚。T子の方が成績が下だったりしたら、散々な言われ方をする。その他・・・・の理由から、このままいくと、高校3年間までもこの関係が続くかもしれないし・・・という事で、転校を決意したらしい。決めてから私の所に来られたので、打つ手はすでになし!このクラスなら、じゅうぶん取り組めたのにな・・・・と、やりきれない気持ちになった。でも、T子のおかしさには、気付いていたし、それを私が分かってくれるだけでありがたい・・・とお母さんは私に好意的だった。)
 2者懇の度に、軽い確かめのみをしていた。方針としては、とにかく私立はできるだけ確実な所、公立はその家庭の状況に応じてアドバイスをする・・・・という感じであった。
 2学期11月に人権学習をした。彼女は、実行委員に立候補してくれた。いろいろなテーマで実行委員が出演し、ビデオに問題の場面を撮って、みんなで見ながら考えていくというものだった。3年のこの時期なので、進学に際しての学校のランク付けのようなテーマもあった。劇の中では、親が問題発言をするのだが、(今のこの学校では、ビックリする程、子ども同士のそのような問題発言が少なかった。そんな中、彼女からは時々問題発言が聞こえていた。)感覚の鋭い子もクラスに結構いるので、いつかその件に関しても全体に話さないと・・・!と思っていた。この劇の取り組みが終わった後、じっくりと話していった。結構、入ったように思う。彼女に入ったかどうかは、謎だが・・・・。
 3者懇談会。私のお腹もだいぶん目立ってきた頃で、お母さん達からは、「先生、調子はいかがですか!?」と言われて話が始まる・・・というものが多かった。T子の場合・・・・・・。始まって、すぐ話を始める。「私立は、たぶん大丈夫だと思いますが、公立の方は今のままだとちょっと厳しいですね。」と言うと、突然興奮されて、ものすごい大きな声で「親も子どももナーバスになっているのに、先生のその言い方だと、まるで無理というみたいじゃないですか〜〜!」はぁ〜〜!??(3年生は、4クラスあるのだが、3者懇は図書室で仕切りをつくって行っている。こんなでかい声を出したら、他にも響いてるだろうな・・・。)「いえ。無理とは全然言ってませんよ。今の時点での現実を言っているだけです。」という事で、いろいろと説明していった。塾で大丈夫と言われている!!と、やたら自信をもった言い方をされるので、調査書のいわゆる内申点の話をした。彼女は、授業に関しては、寝てる・提出物をきちんと出していない等教科の先生達から、良い報告は受けていない。その事も軽く伝えながら話したのだが、「自分の努力ではなく、他人の評価によって、この子の人生が決められたんじゃあ〜、たまったもんではありません。」はぁ〜〜!?(幸い、自分の教科の音楽は5だったので話がしやすかった。)同じ教科でも、先生が変わると評価が変わるとか・・・いろいろな話をされた。その上で、今から頑張れること!という事で、3学期始まったらすぐに学年末試験があるけど、それの点数がかなり公立の内申点に関係するからね。という事で、お母さんは途中涙まで出されたけど、なんとか落ち着いて「ありがとうございました。」と言われ、帰っていかれました。職員室に帰ると、他の先生から、かなり同情的な言葉をいただいた・・・・。
 しかし・・・、3者懇後も彼女の様子はそれほど変わらなかった。相変わらず、塾中心の生活。朝ご飯は、食べない。授業中は寝てる。給食時間の様子も変わらない。その後、公立の推薦制度があるのだが、重要な事も聞き逃す事が多い彼女は、「推薦希望の人は、○日までに私の所に言いに来て下さい。3者懇で言ったという事で推薦希望という事にはならないので・・・。」彼女が言いに来ないので、少しは現実が見えてきたかな!?と思ったら、推薦希望者全員集合の時、その場所に行くと、来てる。3者懇の時、親がちらっと言っていたのでてっきりリストに入ってると思っていたらしい。私に言いに行くという手はずが、分かってなかったらしい・・・。一応希望者には名を連ねる事にしたのだが、注意はした。結果、遅刻・内申点のあまりの低さで、学校推薦はしないという結果が出た。学校審査の発表は、終業式の学活終了後。2名落ちた子がいたのだが、こちらの説明は通じたようだった。成績の事よりも、遅刻・欠席の件をしっかり説明した。T子の親からの苦情の電話は、数日待ったが、幸い来なかった。
 3学期に入り、すぐに学年末試験があった。彼女の点数は、いつも並みだった。やっぱり厳しいな〜〜。と思いながら日々過ぎていった。私立入試が終わって、次の日彼女が私の所に来て、「先生、試験の最中、途中で寝てしまったみたいなんですけど、大丈夫でしょうか!?」はぁ〜!?と思ったが、「とにかく結果待ちやね。その失敗は、公立に生かすようにしようね。入試間近になったら、生活のリズムを整えた方がいいよ。」私立の発表の時。彼女は、私の発表に泣き出した。相当不安だったようだ・・・。実は、お母さんの言葉では(3者懇の時)「この学校には悪いですが、公立を第一希望にしていますので、ランクを落としています。」だったのだ・・・。プレッシャーは、かなりかかっていただろう・・・。
 公立試験の前日、彼女が私の所に来て、「先生、内申やばいですよね〜。どのぐらいやばいんですか?」と言いに来たが、ここまで来て焦ってもしょうがないので、「今からできる事は、とにかく点数をしっかりとれるように頑張るしかないよ。今まで頑張って来た事が生かせるように、今日は早めに寝て、明日に備えてね。応援してるからね。」みたいな事を言った。
 卒業式、学活が終わって見送り終わって、T子のお母さんが話しかけて来られた。T子の荷物をいっぱい持ってあった。「先生、どうしてこんななんでしょうかね〜。(それ程、困ってる風ではなく)この前は、どうもすみませんでした。気を悪くされたでしょう!?(この前とは、3者懇の事だ)」「いえいえ。そんな事ないですよ。」で、ほっとされてお別れを言った。T子のお母さんとも、最後はいい感じで良かったと思い、他の先生方にも伝えた。
 さて・・・・。公立発表。やはり、T子は、不合格だった。しっかり受けとめて頑張ってくれたらいいな・・・と思っていた。2日後頃、(この頃、私は風邪&中耳炎)合格が危ぶまれた子が(祝合格!!)部活をしに来ていたので、帰りに体育館に寄り、その子と話をしていた。そしたら、「先生の携帯鳴ってますよ。」「?学校やん!」という事で、職員室に戻った。なんと・・・・、T子の父親から電話がかかってきて、調査書の開示請求を言ってきたらしい。教頭から、「調査書すぐ出る!??」と言われ、幸いすぐに出たのでそれをコピーし、渡した。もちろん悪いことは何も書いていない。事実そのままだ。高校の方にも開示請求してるらしい。その高校は、開示請求に慣れてるらしい事も教頭が言っていた。親が何か言ってきたら、自分と校長の方で、対処するから・・・という事だった。一番ショックを受けているのは、T子だろうに・・・、なぜ本当の心のフォローをしてあげないんだろう。ショックが大きくなるだけなのに・・・。たぶん、点数もとれてないんだろうな・・・。そういう事が駆け巡った。2年の学年職員は、弟がいるのでその子の話になり、笑っていた・・・。私は、笑えなかった・・・。その子は、今後どうなるのかと思うと、辛いものがある。私立に行っても、決してトップ集団には入れないのでは!?と思う。生活の基盤も出来てないし・・・。教科の先生で、点数が悪かった教科の人は、自分が責められた場合どのように説明するか??と心配していた。
 結局、お父さんからは、その後全く連絡もなく、学校に調査書を見に来る事もなかった。いろいろな場面で誠実さが感じられない。人間として、どうなのか・・・・。彼女との様々な事で、いろいろと考えさせられたが、こういう親が増えている事・その親は私と同世代である事は事実である。

 


不登校@                                      2004年4月30日

 学校に行けない事を不登校という呼び方をするようになって久しい。クラスを担任すると、必ず一人は不登校状況の子どもがいる。でも、その原因・状況はさまざまで、決して一くくりにはない。社会がここまで多様化しているのに、学校のシステム・箱までも戦前の兵舎型からあまり変わってないのだから、学校に合わない子がいて、当たり前だと私は思う。でも・・・・・、できれば集団で生活するという経験はした方がいいし、いろいろなタイプの人に対応できる人になってほしいと思うので・・・いろいろとアドバイスをする。
 2年前、11月の終わりから、突然学校に来れなくなった子がいた。その子についての事をここでは書いてみたい。この時点では、私は3年間この学年を持ち上がるつもりでいたので、とにかくゆっくり・・・対応していこうと思っていた。ところが、12月状況は一変し、3月いっぱいで異動しなければいけなくなったので、3月までは学校に出て来れないかもしれないけど、次の担任に繋げる事ができる状況までは、もっていきたいな!と自分なりの目標を立てた。
 幸い、子どもとは、家庭訪問の度に会うことが出来たので、ちょっとだけでも毎回話ができた。直接の原因は、女の子の仲良しグループの中でのトラブルなんだけど、本当の原因はもっと深い所にあるので、それを少しずつ溶いていこうと思った。
 最初は、父親も母親もうろたえていたし、父親が休み始めてすぐに学校にわざわざ訪ねて来られた。先を急ぎたい気持ちはわかるけど、ゆっくり対処して行った方が、あとあとを考えると良いと思うので・・・という旨お伝えした。じっくりこっちの意思を伝えたので、一応分かってもらえたようだ。
 その後も、親にしてみればもちろん初めての経験なので、先を急ぐ気持ちが出る言葉が何度も出たけど、その都度「来年始めを目標に!」とか「2月を」とか「修了式の日を」とか言いながら・・・「2年の途中でもいいじゃないですか・・。」と、長い目で見ていく事を言った。お父さんは、単身赴任でお兄ちゃんとはすごく年が離れている。実は、お兄ちゃんは、このお母さんの子どもではないんだけど、実の子に見えるぐらいに仲は良い!等、いろいろ分かった。S子は、お兄ちゃんと年が離れた子どもなので、おばあちゃん・お父さん・お母さん・お兄ちゃんみんなから、すっごく可愛がられて育てられたらしい。丁度、友達とのトラブルがあった頃の少し前、「その頃、何か変わった事なかったですか?」と聞いてみると・・・、お兄ちゃんの結婚の事で家庭中が、ごたごたしてたらしい。それで、それまでSちゃん中心だったのが、ちょっと変わったのかな!?と思った。ここの家庭の場合、夫婦仲がとても良く、嫁姑の関係もとても良いので、その辺は原因にはあがらないと思った。
 とにかく、家庭訪問の度に、お母さんとたくさん話をした。いつも出されるお菓子や果物もとても美味しかった。時には、子どもと一緒に二人で夕食をご馳走になりながら、話をしたりした。週1は、必ず行っていたので、かなり親からも信頼をされていた。話していくうちに、教育論になり盛り上がった事も多々あった。「組合の執行委員をしてるので・・・。」という事も話し、広くいろいろな先生達と教育について語る事ができる私の状況等も話したりした。また、お母さん自身も、留守家庭の指導員をした事等あり、教育者の立場であった事もあるので、わかり合えることが多かった。お母さんの本当のお子さんは、Sさんだけなんだけど・・、年いった子どもなので、回りのお母さんたちの考え方に着いていけないと思う事も多いんです・・・と言ってあった事もあった。でも、保育園の時のお母さん仲間とは、年が様々だけど話が合うらしく、それはとてもいいことだな!と思った。
 一応、勝負をかける日。修了式の前日。いろいろと最後の仕事をして、終わったのが確か・・・9時前だった。ちょっと失礼ではあったけど、「今からおじゃましていいですか?」と電話し、それからお宅に向かった。本人と話をした。夕食をご馳走になった。明日行ける可能性は、半々かな!??と思ったけど、この日に「明日、行こう!!」と思う瞬間があるだけでもいいと思ったので、とりあえずオッケ〜。
 修了式の日、来れなかった。全部終わって、通知表その他を持って行った。お母さんは、恐縮してあったけど。半分の可能性を考えていたぐらいなので、と伝えた。
 始業式の前の離任式で、私は異動だったのでステージの上から彼女が来てるか!?見てみたけど、来てなかった。その日までは、前のクラスで集まるわけだから、難しいかな!?とも思ったので、よしとした。そして、次の日から、ぼちぼち学校に行きだしたようだ。
 この子の場合、親のこだわりが早めに抜けたので、わりと早く復帰する事が出来た。それでも、お母さん・お父さん・おばあちゃんの途中での焦りは、相当なものだった。「とにかく、ゆったりと構えて下さい。」という事を言い続けた。」「今、中1だけど、20代30代の頃に間に合えば大丈夫ですから・・・・。」とも言った。
 自分自身に生活のゆとりがないと、このような取り組みは、しにくいけど・・・・。このお母さんとの出会いも、なかなか良いものだった。
 


生徒会                                        2004年4月25日

 学校に生徒会という組織が出来たのは、いつ頃からなのだろう!?その生徒会の係を一つ前の学校で2年間やらせてもらった。生徒会の係をするって事は、クラスをひとつ持つようなもので、学校全体を動かすので、とても大変だがやりがいがある。もちろん、やりがいがあるような中身を持っている学校の場合だが・・・。この学校は、以前から生徒会活動がとても活発で、その重要な役をやらせてもらえる!という事なので、「大変だな〜。」と思うと同時に、「ありがたい!!」とも思った。ひとつひとつの事を丁寧に論議していくと、時間がいくらあっても足りないぐらいだ。
 役員改選選挙があり、いよいよ自分の学年が中心になって作っていく番になった。このメンバーは、かなり多様性に満ちたメンバーだった。まずは、メンバーに生徒会役員とは!!という事を知ってもらうために、土曜日の午後を利用し、学校と別の所で生徒会役員研修を行った。身近な所から考えてもらうために、「自分の学年の様子を合唱発表会の取り組みを振り返る。」という宿題を出した。(たぶん、課題はもうひとつあったような・・・。)もちろん、最初なので深く考えられる者は、一部である。その宿題を元に、一人一人自分の書いたものを説明してもらい、集団をどう見ていくか!?という事について考えていった。自分のごく近い仲間の事だけしか考えられなかったり、リーダーの立場でありがちだが、「○○さん△△くんが、協力してくれなかった。むかついた。でも、最後はまとまった。」という事で終わっていたり・・・。どんな場でも、やる気のある者・ない者・その間の者・・・いろいろな立場がいる。やる気のある者は、ほっといてもついて来る。一見やる気のない者と思われる人が、なぜやらないのか!??集団を引っ張っていきながら、その子の背景を考えていけるという事が第一段階だと思う。そのためには、集団で一番マイナスイメージを持たれている子の事をいつも頭において、いろいろな事を考えていくという事が重要になっていく。この事を生徒会行事の度に、考えさせていった。
 もちろん、まだまだ14〜5歳なので、任せられる事もあるけど、時々アドバイスをしなければいけない。でも、彼等は「3年生を送る会」「新入生説明会」「歓迎遠足」「オリエンテーション」「生徒総会」そして、もちろん毎月の「評議専門委員会」よく頑張ってくれた。もちろん煮詰まる事も多々あり、生徒会役員内恋愛問題でちょっとぎくしゃくしたり、いろいろあったが・・・・。それとすごいのは、私のやる気も彼等は認めてくれたが、私が時に何かを決め付けた言い方をすると・・・私が付きつけに合うこともあった。例えば・・・卒業アルバムの生徒会役員写真の写り方。「こんな風に並んで!」と言ったら、「どうして、先生に決められないかんと〜〜!?」そう言えばそうだ・・・。体育大会の時の聖火ランナーについても、「保体委員長がいいやろ!?」って言ったら、「なんで〜〜〜〜。私やりた〜〜い!!」結局、女子が二人(だったと思う)で、やった。他にもこのような事が何度かあった・・・。
 受験期に入り、活動がフェードダウンする者もいたが、それなりにきっちりと仕事をみんなやり遂げてくれた。そうそう・・・。活動に熱を上げるがために、成績が下がってはいけないので、常に成績はチェックしていた。
 このような活動をやっていったが、いわゆる行事消化型に終始しているような生徒会活動が多く見られる。また、生徒会活動を活発にやらせると、教師の意のままというわけにいかなかったりするので、それを面倒くさく感じる者も少なくない。年々生徒会という組織が、名ばかりとなっている学校が、増えてきている気がする・・・・。『自治』という言葉すら知らない教師も増えてきている。それが、教育の行く末と結びついているので・・・・危ぶまれる。
 さて・・・。この時の子ども達も高校を卒業し、それぞれの道を進んでいる。この春に役員のうちの4人と会う機会を作ってくれたが(4人中3人は浪人)、高校でも中学での経験を生かし、活躍した者もいたようだ・・・。担任でもなく、ただの生徒会係だった私に会いに来てくれて・・・・教師冥利につきる時間が過ごせた。




職業意識                                             2003年夏

 世の不況のおかげで、公務員に対して、非常に周囲の目が厳しくなっている。「先生に夏休み??」「休み過ぎではないか!!」ということで、「○○さんが、さっき洗濯物を干していた。休暇届けをとっているのか?」と連絡が来たらしい(本当かは、さだかではないが、それらしき事はあってるだろう。)
 そりゃ〜〜、時間がある年もある。ゆとりがある人もいる。ただ、どこかでショッピングをしていようと、花火を見に行っていようと、映画館にいっていようと、先生は先生である。芸能人並とは言わないが、それに似た面もある。天神のど真ん中で「せんせい〜〜〜〜^^」とかわいらしい生徒さんから叫ばれたら、悪い気はしないけど、あっという間にプライベートな気分は抜けてしまう。
 残業はあるけど、職場を離れれば自由が待っているというのが、普通だと思う。
 教師は、24時間教師なのである。だからこそ、プライドをもって行動したい!



家庭訪問                                                      2003年夏

 今年は、家庭訪問を夏休みに行った。私は、結構家庭訪問は好きな方である。(いわゆる定例のもの)
家に実際に行ってみるといろいろな事がわかる。同じ間取りでも、きちんと整理されている家。(その逆もある)その中でも、6人兄弟のお宅は、印象的だった。家庭訪問中も小さい兄弟2人がぐずるたびに、お兄ちゃんお姉ちゃんが抱っこしてあげる。裕福ではないけど、できるだけの事はしてあげたいというお母さんの気持ちも伝わってくる。受験勉強の仕方を教えるとこれまた、真面目に聞いている。昔ながらの家族の姿がそこにあり、なんだかあったかい気持ちになった。
 いろいろな家庭があるけど、つくづく思ったのは、塾に行ってる子がものすごく多いということ。今の所、8割以上かな〜?しかし、本来なら、塾に行かずとも受験勉強はできるはず。高いテキストを買わせられて、塾のスケジュールにのって、宿題をして講義にのぞむ。学校の授業だけでは、だめなんだろうか???
親が塾に行かせてくれない!と言って、途中で泣き出した子もいた。「塾に行けば、宿題を出してくれるし、叱ってもくれる。」「自分だけでは、ついつい怠けてしまう。ノートをまとめるのは好きだけど、それで終わってしまう。」さらに「みんな行きようもん!」塾の役目は、確かによくわかっているな〜と思いつつ、自分の家の家計を考えんかい!!できるだけの事をやってみて、お願いはするものだろう!!と思った・・・・。
 でも、自分の子どもには、どうするかな〜〜??
 もうひとつ。ひとしきり、盛り上がった後、「先生って、音楽の先生なのに気さくですね〜。」と言われた。それは、音楽の先生との出会いが悪かったのだろう!?と思ったけど、お母さん自身も短大で保育科の生徒にピアノを教えていたらしい。別に、音楽科だからって、「音楽科ですのよ〜〜^^」って感じじゃなくていいと思うんだけど・・・・((笑